【第60回】“社労士が教える4STEP攻略ガイド” IPO(上場)審査通過の鍵は日々の通常労務業務から
- 2025年10月2日
- 社会保険労務士による労務記事
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はじめに
日本国内では概ね80社〜130社程度が毎年IPO(Initial Public Offering/新規株式公開)をしています。IPOは企業が自社の株式を証券取引所に上場し、一般の投資家に公開することを意味します。
これは単なる資金調達の手段にとどまらず、企業の成長フェーズにおける重要な転換点となり、上場することで企業は資金調達の選択肢を拡大し、知名度や信用力を高めることができます。
また、優秀な人材の獲得や取引先との関係強化にもつながるため、長期的な経営基盤の強化にも寄与する一方で、上場企業として求められる社会的責任やコンプライアンス対応、ガバナンス体制の構築といったハードルも避けて通れません。
今回はIPOを検討されている企業やIPO準備期間の企業の労務分野においてやるべきこと4STEPに分けて解説いたします!
IPO(上場)までの全体フロー
| 準備期間 | 対応項目 |
| 上場3年前 | 基本的な労働管理体制・勤怠管理体制の構築、就業規則の整備 |
| 上場2年前 | 労務デューデリジェンス(会社の雇用や労働条件に関する法律、ルールが守られているか書類や運用をチェックする)の実施・改善対応、未払い賃金の精算 |
| 上場1年前 | 法令遵守した労務業務の継続、証券会社・監査法人対応 |
| 上場直前 | 労務資料の提出・説明対応、ガバナンス体制の最終確認 |
このように、上場の3年前には法令遵守した労務管理体制を構築・運用を開始し、IPOに向けて法令違反となる事項が発生しないよう管理の徹底を行います。
ポイントは「IPOの直前にまとめて整備する」のではなく、日々の通常労務業務を正しい運用・法令遵守できている状態に仕上げておくこと。これが審査通過の鍵となります。
企業のステージと労働法関連の義務
企業の従業員人数が増えると、その人数に応じて労働法関連で行わなくてはならない義務が増えていきます。どの従業員規模の企業においても正しく漏れなく対応できているのかを上場審査では確認されます。
また従業員数が増えると育児介護休業の取得、私傷病での休職やローパフォーマー等の問題対応など様々な従業員対応を行わなければなりません。これらの労務業務を行うことに加え、IPO準備が本格化するケースが多いため、通常の労務業務と並行して労務体制の整備を進める必要があります。
通常の労務業務においても多岐にわたる中で、IPO準備となるとより本腰を入れて体制整備等の取り組みを行うことで、労務管理体制の抜本的な見直しが必要となるケースも少なくありません。
そのため、本格的にIPO準備期に入る前から労務体制の整備、法令遵守された労務管理を行うことが重要です。
ここからは4つのSTEPに分け、それぞれのSTEPで必要な準備について解説を行います。上場準備の4STEPを簡単にまとめた資料もご用意しておりますので、ぜひご活用下さい!
<STEP1:自己評価でウォームアップ!人事労務分野の必須事項8問セルフチェック>
上場準備では、会計・法務・ガバナンスなど多方面にわたる体制整備が求められます。その中でも人事労務分野は、以下の項目は必須事項となっております。
現時点での体制を改めて確認し、対応すべき項目をセルフチェックしましょう。
1.正しい労働時間管理ができているか
2. 36協定は有効な状態か
3.雇用契約・労働条件の締結・明確化はできているか
4.法定3帳簿の作成・保管はできているか
5. 就業規則等規程は作成・届出、最新の法改正対応ができているか
6.社会保険・労働保険の適正な加入ができているか
7.未払い賃金はないか
8. ハラスメント対策やその他法律遵守などコンプライアンス遵守はできているか
上場審査や監査法人、証券会社のデューデリジェンス(投資やM&Aなどの取引を行う際に、対象企業や事業・資産について、財務・法務・事業・人事・ITなど多方面から調査・分析し、その価値や潜在的リスクを明らかにするプロセス)では、これらの実態が詳細に確認されます。
労働時間を適切に管理できていない、法定帳簿・就業規則の未整備、未払賃金の発覚などは、「内部管理体制に不備あり」と評価されかねませんので、各項目についての詳細や注意点を次のSTEP2.でご説明いたします。
<STEP2.IPO(上場)審査で“つまずかない”ための要注意6項目チェック>
1.労働時間管理と36協定の適正化
36協定とは、「使用者と過半数労働組合代表」または「労働者の過半数を代表する者(以下、従業員代表という)」の間で締結された「時間外労働・休日労働に関する協定」のことをいいます。
36協定を締結・届出することで、本来行うことのできない法定労働時間を超えた時間外労働や休日労働を行うことができるようになります。そのため前提として、36協定が締結されており、管轄労働基準監督署に届け出されていることが必要です。
近年、働き方改革関連法の影響により労働時間の適正管理が極めて重視されています。特に、36協定内容の遵守状況は厳しく確認され、2019年4月(中小企業は2020年4月)から働き方改革法改正として月45時間・年360時間の時間外労働上限規制への対応、特別条項発動の際の上限回数・上限時間管理は必須です。
また、管理監督者の適切な適用が必要になり、管理監督者は休日や時間外労働の残業代支給は不要(深夜割増は除く)のため、多くの方を管理監督者にしてしまう企業も少なくありません。
下記の管理監督者性が実際はないとされる名ばかり管理職の場合には多額の未払い賃金が発生している可能性があります。管理監督者を適用する場合には必ず管理監督者の定義に当てはまる対応をしているか確認の上、管理監督者の人数が全従業員の10%から多くても20%以内に収めることを推奨します。
【管理監督者の定義】
◆職務内容・責任・権限
労基法上の管理監督者とは、「経営者と一体的な立場で仕事をする者」とされ、その重要性と労働の特殊性から労働時間等の制限を受けないとされています。
◆遅刻・早退等の扱い、労働時間への裁量
遅刻早退等した際に賃金が減らされるようであれば、逐一労働時間を管理されていることになり管理監督者性が否定されてしまうリスクが高くなります。
◆待遇
労基法上の管理監督者であるか。上述のとおり経営と一体となっているということから、通常の労働者よりも当然待遇は高くなるものと考えられます。
基本給、役職手当等においてその地位にふさわしい待遇がなされているか否か、ボーナス等についても通常の労働者に比べ優遇されているかも管理監督者性の判断には重要な要素です。
2.雇用契約・労働条件の締結・明確化
労働条件通知書の不備や、労働契約書が存在しないケースは、上場審査で指摘対象となります。
直近では令和6年4月より労働上条件明示ルールが変更されており、「就業場所・業務の変更の範囲の明示」、有期雇用の場合には「通算契約期間又は更新回数上限の明示」、「無期転換後申込機会・無期転換後の労働条件の明示」が必要です。
「雇用契約・労働条件通知書の内容が最新の法改正を反映している内容になっているか」確認するようにしましょう。
3.法定帳簿・就業規則等規程・労使協定の整備・周知・保管・管理
就業規則や規程が存在しない、あるいは最新の法改正に対応していない場合もよく見受けられます。また労働関連の規程について正しく整備されており、常時雇用労働者数10人以上の企業ではこれらの規程を労働基準監督署に届け出することが必要です。
下記についても必ず確認される項目となりますので、合わせてチェックしましょう。
・時間外労働・休日労働の労使協定(36協定)など必要な労使協定が締結されているか
・36協定に関しては労働基準監督署に期限が切れる前に1年に1回届出がされているか
・就業規則や労使協定は適切に従業員に周知されているか
4.社会保険・労働保険の適正加入
社会保険未加入や誤った等級設定は、簿外債務となり得る論点となります。社会保険、雇用保険に正しく加入しているか、正しい保険料を徴収しているかを確認します。
◆社会保険の加入要件
社会保険は正社員の他、労働時間や労働日数が正社員の4分の3以上のパートタイマー等も加入させなければなりません。さらに、社会保険制度の適用拡大により、2024年10月以降は常用労働者数50人超の企業では週20時間以上労働の方(昼間学生を除く)も社会保険加入しなければならないため要注意です。
◆雇用保険の加入要件
雇用保険は、正社員、契約社員、パート、アルバイト等雇用形態を問わず、以下に該当する場合には加入の対象となります。(昼間学生を除く)
・週の所定労働時間が20時間以上であること
・31日以上継続して雇用が見込まれること
5.未払い賃金
企業経営にとっても上場審査上も両方の視点で最重要論点となるのは“未払い賃金”です。未払賃金の代表的な発生要因としては下記が挙げられます。
◆固定時間外手当の取り扱い
基本給と固定時間外手当を明確に区分した記載をしていない、固定時間外手当を超える時間外労働に対する追加の支給をしていない場合には追加の支給が必要になります。
◆管理監督者の定義
「1.労働時間管理と36協定の適正化」でお伝えした管理監督者の定義に当てはめて、管理監督者性が否定される場合には、管理監督者としてきた期間において支給しなかった時間外手当、休日手当の支給が必要になります。
◆裁量労働制の取り扱い
労働時間を実労働時間ではなく一定の時間とみなす制度のため、実労働時間に応じた残業代は発生しません。裁量労働制が否定される場合には実労働に応じた時間外手当等の支払いが必要です。
◆労働時間の取り扱い
「労働時間=労働者が使用者の指揮命令下に置かれていると客観的に判断できる時間」です。メール等で就業時間外も指揮命令している場合や、強制参加を義務づけているイベント等への参加は労働時間となり、その時間に対する賃金支払いが必要です。
◆労働時間制度に応じた適切な勤怠集計や賃金規程に基づいた給与計算がなされていない
これは、固定的な労働時間制にも関わらず、フレックスタイム制の勤怠集計になっているケースや割増賃金の単価の算出の際に使用する月平均所定労働時間を毎年見直さず、適切な数字を使用していないケースなどが該当します。
上記の観点から支給義務があるのに支給していない未払い賃金がある場合には“3年遡って清算し、上場審査前には未払い賃金がない状態”にしないといけません。
6.コンプライアンス遵守
“その他各種法令やコンプライアンスが遵守されているか”も上場審査では確認されます。下記対応も忘れずに行いましょう。
・各種ハラスメント対応と相談窓口の設置:特に2020年6月1日施行(中小企業の場合には2022年4月1日)によりパワーハラスメント防止措置が義務化しており、事業主の方針等の明確化及びその周知・啓発等の措置を行わなくてはなりません。
・偽装請負:業務委託契約をしている方が実態は労働者状態になっている場合「偽装請負」とみなされ、社会保険等への加入や未払い賃金支払いが求められるリスクがあります。
<STEP3.勤怠・労務・会計を“データでつなぐ”6アクション>
IPO準備では、形だけの制度では不十分で、「実際に運用されているか」「証跡が残っているか」が問われます。以下に、主要6項目に対して必要な整備アクションを紹介します。
▶︎アクション1:適切な労働時間管理と36協定上限遵守を行う
・適切な勤怠管理システムの導入、労働時間を記録する
・客観的記録(入退室記録、PCログなど)と勤怠記録との突合
▶︎アクション2:雇用契約・労働条件の締結を必ず行い、有期雇用契約管理・契約更新を漏れなく行い、法改正対応も漏れなく行う
▶︎アクション3:法定帳簿・就業規則・労使協定が作成・保管されており、届出や締結など有効な状態となっているように行う
▶︎アクション4:社会保険・労働保険の加入対象者が適正か、雇用条件や稼働状況に応じて確認する
▶︎アクション5:適正な管理監督者・固定残業代の運用を行い、未払い賃金が発生しないようにする
▶︎アクション6:ハラスメント防止措置の実施、偽装請負防止を行いコンプライアンス遵守体制の構築する
また、このようなアクションを紙やExcelなどを用いたアナログ管理では工数や時間がかかり、結果として対応の遅れや漏れにつながる可能性があるため、ジョブカンやHRMOS勤怠など勤怠システム、SmartHRやfreee人事労務などのクラウド上で使用できる人事労務管理システムを導入し、システム上で管理することによって工数削減やアラートなどの便利機能を活用し、抜け漏れを防止しましょう。
<STEP4:みんなで進めるアクション “力を合わせて IPO(上場)準備を加速!”>
IPOは企業全体の展望であり、労務部門だけでは成功しません。管理部門、会計、法務、現場等が一体となり、分担しながら進めることが最も重要です。
- ・会計部門:給与データの管理、効率的な税務対応等
- ・法務部門:規約の整備、社内文書・組織体制の研究等
- ・労務部門:就業規則や社保等の整備、労務リスクの見直し等
- ・経営陣:指針の示し、各部門のバランスチェック等
まとめ
IPOを目指す企業にとって上場準備は単なる「制度の整備」ではなく、企業としての在り方を見直す絶好の機会です。
特に人事労務の領域は日々の運用と密接に関わるため、書類の整備だけではなく、「実際にどう運用されているか」が問われます。
従業員が100名規模となれば管理体制も複雑化し、従来の属人的な対応では限界が見え始め、その中でIPO準備が本格化すると経営と現場、そして管理部門の連携なしには乗り越えられません。
だからこそ、表面的な整備ではなく、自社の文化やフェーズに合わせた「体制づくり」が鍵となり、また上場準備期間で作り上げた土台はとても強固であると考え、上場準備期間だけでなく上場後の企業成長や従業員を支えるものになります。
上場を目指すという決断には、大きな覚悟と期待が込められています。だからこそ、早期からの準備と丁寧な体制づくりが何より大切です。本記事が少しでも上場へのお力添えができていますと幸いです。
執筆者プロフィール

寺島 有紀
寺島戦略社会保険労務士事務所 所長 社会保険労務士
一橋大学商学部卒業。
新卒で楽天株式会社に入社後、社内規程策定、国内・海外子会社等へのローカライズ・適用などの内部統制業務や社内コンプライアンス教育等に従事。在職中に社会保険労務士国家試験に合格後、社会保険労務士事務所に勤務し、ベンチャー・中小企業から一部上場企業まで国内労働法改正対応や海外進出企業の労務アドバイザリー等に従事。
現在は、社会保険労務士としてベンチャー企業のIPO労務コンプライアンス対応から企業の海外進出労務体制構築等、国内・海外両面から幅広く人事労務コンサルティングを行っている。
2023年11月16日に、弊所社労士大川との共著書「意外に知らない?!最新 働き方のルールブック」(アニモ出版)が発売されました。

